去る5月17日朝9時55分、岳父の田村英雄は亡くなりました。享年92才の大往生でした。生前中は公私とも大変お世話になりました。また、多数の方々に御会葬頂き、心より御礼申し上げます。今回は岳父の想い出と彼から学んだことをご紹介いたします。
- 岳父との最初の出会いは、昭和48年の7月10日でした。私は大学卒業後、3ヶ月間東京の税務大学校で国税専門官の研修を受けました。その後、辞令をもらいに7月10日の朝、大阪国税局の講堂へと向かいました。当時の局長は丸山さんで、辞令を渡して頂いた方は人事課長の武市さんでした。この方は後に田村の直前の東税務署長となられた方で、田村が亡くなってから丁寧な手紙を下さいました。さて、私の配属先は茨木税務署でした。当時は吹田と分かれる前だったので300人を超える大所帯の役所でした。総務課長と同行し、署に着いたのは昼前でした。そこで署の幹部とのランチタイムがあり、オリエンテーションが始まりました。内容は基本的な留意事項が中心だったと思いますが、最後に署長から話がありました。その時の話は今でも忘れられません。曰く「税務調査は納税者になめられないように厳しくやるように。但し終了したらたとえ100万円の利益を出すのに納税者の方は血の出るような努力をされているので充分意見に耳を傾けること。」・・・税務署は税金を取り立てる役所と思っていた私には、大きな衝撃でした。
- 当時の茨木は万博が終わり、人口が増えていました。年々署員が増え税務署が狭くなってきたので二人いた用務員さんの休憩室を潰すことになりました。これを聞いた岳父は国税局に駆け込み中止させたと後に他の先生方から聞きました。
- 昭和51年に東税務署長を最後に退官し、釣鐘町で開業しました。岳父は在籍中に亡くなられた法人統括官の未亡人を事務員として迎えました。その方は松岡さんという方で、書道の達人です。弊社4Fの研修室に掲げている「私達の誓い」の額を書いて下さったのも、この松岡さんなのです。
- 私も一時、岳父の隣に事務所を開設していました。その当時よく遊びにこられたのが昔の戦友の方々でした。岳父は茨城県の霞ケ浦にあった陸軍航空隊で通信の教官をしていました。部下の多くが特攻隊として散っていったそうです。そんな方々を供養するために京都の天龍寺の境内には飛雲観音が建てられ毎年10月に大法要が営まれました。私も何回か出席しましたし、特攻基地として有名な鹿児島の知覧や沖縄本島へ法要の旅にも出かけました。当時、薬師寺の管長高田好胤さんもお元氣でしたので、法話を聞きに度々行きました。皆さんは知覧の特攻記念館に行ったことがありますか?17才~18才の少年の遺言がいっぱい残っています。今の日本の礎となった若者の最後の言葉が我々の心を打ちます。是非一度は足を運んでもらいたい場所です。
- 岳父はゴルフが好きでしたが上手ではありませんでした。口癖は「マナーは誰でもシングルになれる」でした。人の性格はマージャンとゴルフの時によく出ると言われます。特にゴルフは丸一日一緒にいますので特によくわかります。ゴルフが終わって「楽しかったな。またこの人と回りたいな。」と言われるゴルフを心掛けていた人でした。
- 困った時には相談に行ったものです。そんな中でも、心に残った岳父の言葉を挙げてみます。
「人は必ず死ぬが、その時先祖の皆さんから後ろ指をさされるような事はせぬように。」
「損か得かどちらかを選べと言われたら損をとれ、その時は損でも後で必ず得となるものだ。」
「人に頼まれたら一生懸命してあげること。後に困った時にその人が助けてくれるから。」
「人から金を貸してくれと頼まれたら一部でよいから差し上げよ。金の切れ目が縁の切れ目にならぬように。」
「人にものを頼んだ時は必ず顛末を報告すること。」
最後の件でよく私も叱られました。ついつい終わってしまったことの報告を忘れていたからでした。後に桜美会の総務部長をした時に大いに役立ちました。今考えると側に人生の相談相手をもてたことがとても幸せでした。正直、若い頃は言われている事が分からない事もしばしばありました。60才を過ぎて岳父の言ったことや、その奥にある大切なことがよく分かるようになったと思います。特に開業してすぐに「博君は私を頼りとせずに自分の力で事務所をやっていけ。」と言われたことが今の自分を作る基礎になったと深く感謝している次第です。ところで、おしどり夫婦だった義母の松枝さんが岳父の後を追うように5月29日永眠しました。岳父の死のわずか12日後でした。家内が「お母さんありがとう」と言ったら義母の目から涙がこぼれ、そのまま息を引きとりました。私も側についていたのですが、それは感動的なシーンでした。
これで私共夫婦は両親四人を送ったことになり、五月は人の一生を考える月となりました。国税局は退官後30年以上経過しても縁を大切にする組織であり、大変驚いた次第です。最後に国税局出身の署長の会のなかで、叙勲をした方々の集まりである九重会会長であり、正風会名誉会長の田村幾蔵先生の弔電をご紹介して結びとさせていただきます。